何で造園屋さんになったんですか?

何で造園屋さんになったんですか?

たまにお客さんに聞かれるんです。「何で造園の道に進んだのか」って。

私が造園という仕事に魅力を感じ、そんな仕事をしてみたいって思ったきっかけが今までの人生でいくつかあります。

自己紹介の代わりに、そんなお話しを少し、いや、結構長くなるかも知れませんが。

1. 小3でおばあちゃん先生に出会う

今でもはっきり覚えているんですが、小学校3年生の時の担任が、ベテランのおばあちゃん先生でした。今思えば、当時50代だったはずなので、おばあちゃんって呼ぶには若すぎるけど。

ある時、友達何人かと先生の家に遊びに行くことがありました。友達は家の周りで鬼ごっことかを始めたんだけど、私は単独行動で先生の家の庭へ入っていった。それでちょっとときめいたんです。広い畑ではたくさんの野菜が育っていて、花壇にはいろんな花がきれいに植えられてる。「おー、いいないいなー」って。遊ぶことよりも、畑と花壇に心を奪われた少年。

菜園
こんな感じの畑がありました。写真は我が家の畑ですが。
花畑
花壇というか花畑はこんなイメージ。いろんな種類の花が咲いてた。

さっそく自宅の小さな庭に花壇と畑を作っもらい、そこにタネを蒔いて、球根を植えた。それを先生に報告したら、ものすごく喜んでくれたんです。子どもって基本的に、大人を喜ばせたり大人に褒められることが最大のモチベーションになるので、その時の自分もきっとそうだったはず。

それからと言うもの、園芸とか家庭菜園が楽しくて、「NHK趣味の園芸」とか「家庭菜園のつくりかた」みたいな本を買ってもらって、読んだりしていました。漢字とか読めなかったと思うけど、ビジュアルで理解する感じで。

「そうかあ、植物には肥料が必要なんだ」って事を知り、花壇に植えたペチュニアに化成肥料をどっさりあげたら、どんどん元気なくなって枯れてしまったり、タネの蒔き時に関係なく一年中タネ蒔きしたり。ま、いろいろ失敗しながら花と野菜を育ててました。

横須賀の家
花壇の写真がないですが、育てたペチュニアからタネを採って、鉢でも育てた時の画像。
ツルニチニチソウ
今でもよく使う地被植物。ツルニチニチソウも庭の片隅のこの場所で育ててた。

家の前の道を通る近所のおばさんとかに、よく褒められたな。そして、ますます調子に乗る。こうして園芸少年が出来上がっていきます。

園芸の楽しさを教えてくれたおばあちゃん先生。担任が変わる進級直前の通知表に、「これからも植物を大切にする心の優しい人になってください」書いてくれた事を覚えています。

心優しい人になれたかどうかは別にして、植物好きな大人になりました。あ、畑もやってます。今年は畑の面積が1反になりました。全てはあの日、先生の家の庭に、心ときめいた事が始まりでした。

2. イチゴ事件

小さな花壇で、スイートピーやスイセンやペチュニアなんかを育てていました。グラジオラスやスノーフレークもあったな。

そして、小さな畑では、キュウリにピーマン、ニラ、そしてイチゴなんかを、寸分の余裕もないほどに育てていました。

イチゴ畑
まだ寒い時期のイチゴ畑。

こども的には、やはり、イチゴが楽しみ。教えてもらったように、綿棒で花の中心をグリグリしたりしながら、大きくなるのを楽しみにしていました。

イチゴの受粉
イチゴの雄しべと雌しべを綿棒でグリグリしてます。

まだ緑色で小さな実が、徐々に大きくなり、薄っすらと赤味がさしてくる。でも、まだ我慢。ようやくお店で売ってるようなイチゴの色に近づいてきて、明日収穫しよう。って思ってたら、翌朝、無残にも虫喰いの跡。

「やっぱり、おいしいものは、虫もおいしいんだ」

仕方ないので虫喰いイチゴを諦め、次に収穫できそうなイチゴをちょっと葉っぱの上に持ち上げて、虫が食べにくいように対策を施す。

で、いよいよ収穫。今度は虫に喰われてない。

庭でイチゴを見つめ、収穫しようと思ってたら、近所の良く知ってるおじさんが近づいてきた。「うまそうだなあ」とか言いながら、ふた粒のイチゴを一瞬でもぎ取り、そのまま口の中へ。

イチゴの収穫
真っ赤なイチゴの実を、ごっそりと取られる。

まさに唖然。声も出ず。何秒かの沈黙があってから「ドロボー」って叫んだ。

本当によく覚えています。あの時の悲しさ。怒り。

何度か叫んで、怒りに満ちた顔で睨みつけてたら、そのおじさん。怒り出した。「ドロボーとは何だ、このガキが」って。そして、顔に一発ビンタを入れてきた。あまりの理不尽さに、泣いた覚えがないんです。そのあとの事は覚えていないけど、世の中理不尽なことがあるんだな、って知りました。

その時以来、そのおじさんとは話をするどころか、目を合わせることもありませんでした。これが「イチゴ事件」

造園の道に進むきっかけとは、全く関係なかったですが。

3. 北海道への憧れ

少年時代、よく一人旅に出掛けました。小学5年生の時に真冬の青森まで、初めての一人旅。

何で青森だったのか、多分、雪がたくさんで楽しそうだったから。上野から10時間近く掛けて訪れた本州最北端。
初一人旅としては、まあまあ遠かったのですが。その時、青森駅のホームで思ったんです。

ここから船に乗れば北海道まで行けるじゃん、って。

初北海道
初北海道一人旅で最果ての稚内へ、そして上野に戻ってきた小学6年生

翌年、津軽海峡を渡って北海道へ。

10泊11日くらいの工程。途中で補導されかかったり、いろいろありながらも、北海道の魅力に取りつかれるのでした。

高校3年。大学入試を控えたある日、高校の進路指導室から呼び出しが。

「ナカジマくん、建築学科に行けて、しかも北海道だよ。良いと思わない」って甘いささやき。先生から北海道の大学を勧められたのです。

そして翌年、晴れて北海道民になるのでした。

旭川の大学
いつもひんやりした森の香りがする大学で4年間学びました

大学では大好きな建築を学べる事と、何より北海道での生活がうれしくて仕方なかったのですが。もうひとつ、ランドスケープ・アーキテクチャーを教えるアメリカ人の先生と出会えた事も大きな喜びでした。

世界の造園事例や公園、パブリックスペースの研究。植物のスケッチなんかもやりました。楽しかったな。

今、アトリエタムロとして造園のお仕事が出来るのも、あの時、あの環境で学べた事が大きく作用しているのだと思います。